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流れ星による読書日記。大学在学中に200冊を読破。現在のべ900冊目に突入中! 目指すは…1000冊?
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 プロフィール 
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流れ星
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女性
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アルバイト
趣味:
読書
自己紹介:
文学部在学中に223冊を読破。

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もうすぐ通算650冊に到達予定。
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726冊目!

(新潮文庫)

突然、視力を失ってしまった若だんな。手がかりを求めていくと、どうやら目の神様と特別な宝の玉が関係しているらしいのですが・・・

目玉のことは「眼球」と言うし、英語でも"eye ball"なので、「ころころ」の響きからはかわいらしい玉がころがる様子をイメージします。

うちの猫も夜になると瞳が全開になり、黒いビー玉のような目をキラキラさせてこちらを見つめてくるので、毎晩その輝きに見とれずにはいられません。(元野良だからあまり見つめるのはよくないとわかっていても、吸い込まれそうな可愛さでついつい見てしまうんです)

それが必ずしも目玉ではないとしても、透き通って美しく光を反射する丸い宝石には、昔も今も人を惹きつける強い力が宿っているようです。

「金、銀、真珠に水晶、琥珀、瑠璃に瑪瑙(めのう)の七宝」(p.20)

天然石のアクセサリー専門店や、ビーズ手芸店に入ったときの、細かい光の粒に囲まれてわくわくする感覚を思い出します。

この七つの玉を巡り、最後に明かされるのは、目の神様と、ある娘の恋の悲しい顛末。若だんなの目は無事見えるようになりますが、ハッピーエンドとは言いきれない切ない結末です。

・作品の公式サイト:
  ・しゃばけ倶楽部 http://www.shinchosha.co.jp/

→「しゃばけ」シリーズ:
  1.しゃばけ (2016/09/10の記事
  2.ぬしさまへ (2016/11/23の記事
  3.ねこのばば (2017/02/19の記事
  4.おまけのこ  (2017/04/23の記事
  5.うそうそ (2017/07/30の記事
  6.ちんぷんかん (2018/10/27の記事
  7.いっちばん (2021/04/20の記事
  8.ころころろ

→著者の他の作品:
  ・『ゆめつげ』 (2015/10/10の記事
  ・『つくもがみ貸します』 (2017/10/11の記事
  ・「太郎君、東へ」 "Fantasy Seller" 収録 (2015/06/21の記事

(F市図書館で借りて・背表紙幅:1.3cm)

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725冊目!



アニメの第2期を観たとき、織田作之助の強烈な存在感にショックを受けたのを覚えています。マフィアのキャラクターたちの中でも「殺さず」「孤児の支援をする」姿がカッコよくて、あとから小説版があると知ってずっと読みたいと思っていました。

ファンの間でも人気のあるエピソードで、私の周りにも「織田作」ファンが何人かいます。いつかマフィアから足を洗い、静かに小説を書きたい、という彼の夢はかないませんでしたが、今後アニメや漫画の中で、彼の遺志を継いでいくキャラクターが現れるのではないかと私は勝手に期待しています。

(今のところ、芥川が意図せず「殺さずのマフィア」を継承した形になっていますが、さてさてどうなるか?)

太宰と織田作の別れの場面は、『走れメロス』のクライマックスを思い出します。メロスはセリヌンティウスの死を止めることができましたが、太宰がその場に駆け込んできたのは織田作が致命傷を負った後でした。

織田作が「友だちだからだ」と一言告げると、太宰にとっての世界が一変します。アニメでは織田作の手が太宰の包帯を引いてほどけ、視界が広がるという演出になっていました。誰かの言葉が人の価値観や世界観を変える、という場面は文ストで時折見られますが、太宰の場合は織田作との出会いが彼の生き方を変えるきっかけになったのですね。

太宰が親友を失った後、落ち込んだりふさぎ込んだりしている描写はありません。驚くほど淡々と太宰はマフィアを抜け、新しい生き方の模索を始めます。自殺マニアではありながら、織田作の分まで生きようとしているようにも見えます。

→著者による他の作品:
  ・『太宰治の入社試験』 (2023/06/23の記事

(F市図書館で借りて・背表紙幅:1.5cm)

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724冊目!



昨年辺りから、本屋や図書館で猫関連の本を探すルーティーンが加わりました。飼い方・育て方だけでなく、今興味があるのは「猫の絵本」。探してみると、想像以上にたくさん見つかります。

猫を描いた絵には、作家ごとに猫へのやさしいまなざしが感じ取れます。シンプルな線だけで猫の体の柔らかさを表現する作風もあれば、絵具で毛の一本一本まで描きこみフワフワな見た目にこだわった作品もあります。

この本の作者、町田さんを知ったのは「なまえのないねこ」でした。キラキラとビー玉のように輝く猫の目と、筆のタッチを残しつつびっしりと描かれた猫の被毛。さらに、何度も重ね塗りして細かいところまで描きこまれた背景の数々。ところどころに隠れている「TNR」や「ねこ」などの文字。

猫好きな大人が思わずニヤリとしてしまうしかけが散りばめられていて、何度も繰り返しページをめくりたくなります。

「ねこはるすばん」では、表紙の猫の瞳がとても細くてこわがるお子さんもいるかもしれません。でも最後のページでは・・・これは猫を飼っている方には「あるある」でしょう。

(F市図書館で借りて・背表紙幅:1.0cm)

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723冊目!


 
「育ちがよい」という言葉の意味を、読後もずっと考えています。いわゆる「経済的に恵まれた家に生まれた」ことではなく、「マナーの知識で頭ががんじがらめ」なことでもありません。

本文中で著者は何度も「相手や状況に合わせて対応を柔軟に変えられる」ことが「育ちがよい」ことだと強調しています。人づき合いに関する経験を積んでいて、その場での最適な振る舞い方をさりげなく実行できたら、確かに相手にはよい印象に残りそうです。

私自身、ここ数年でようやく「経験を(少しは)積んだ」と自覚できるようになってきました。5年前、10年前、15年前、学生の頃・・・と振り返ると、格段に今の方が人づきあいは怖くなくなったと感じます。

でもやはり、毎回満足いく振る舞いができているわけでもなく、今後も学ぶべきことはまだまだあると思います。

「親ガチャ」という言葉が広まる中で、「よい育てられ方を受けるのも運次第」と捉えるのが一般的になりつつあるのではないでしょうか。家庭環境や教育環境が恵まれていなければ、「自ら学ぶことすらあきらめる」人も出てくるかもしれません。

この本が発売されたのは、コロナ禍の最中だったと記憶しています。感染を防ぐためにマスクを着用すべきか、状況によっては外すべきか、迷う場面も多々ありました。書店でこの本が注目され売り上げを伸ばしたのも、正しいルールを読者が探し求めていた表れではないかと私は思っています。

この記事を書いている今は、新型コロナ感染症は5類扱いになり、マスクは強制でなくなりました。しかし、まだインフルエンザやコロナの流行は続き、一人ひとりが自分でマスク着用について考える必要性は残っています。

マスクに限らず、ここ数年で急速に広がったリモートワークやオンラインでのイベント開催、印鑑使用の廃止など、以前と変わった習慣についても新たなマナーや所作が私たちに求められていると感じます。

本書の内容は大いに参考になりますが、丸ごとうのみにするのではなく、常にその場の最適な振る舞いを考えなければいけないと強く思いました。

(古本屋で購入・背表紙幅:1.9cm)

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722冊目!



アニメ版→漫画版→小説版、とたどりつきました。本作はアニメ化もされていて、結末はすでに知っていたのですが、一部小説版オリジナルの場面や設定もあって楽しめました。

太宰と国木田は一見正反対のキャラですが、実は互いの弱点を補い合えるコンビでもあります。本編の漫画版では、敦と芥川、福沢と森のように、普段は仲が悪いのに最強の力を発揮できるペアが複数組登場していました。彼らの「嫌い」は決して相手を否定することではなく、自分の弱さを認めている証の現れなのかもしれません。

7月から再開するアニメを楽しみにしています。

(F市図書館で借りて・背表紙幅:1.7cm)

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721冊目!



タイトルから勝手に「猫が何を話しているか、人間が学ぶための教科書」だと勘違いしていたのですが、読み進めてみたら「猫が子猫たちのために書いた、人間の家で快適に暮らすための教科書」でした。着想がユニークです。

我が家で元野良猫を飼い始めて1年半。少しずつ飼い主を認識し、要求があれば「にゃー」と鳴き、ペースト状おやつを指から舐めてくれるまでに人間に慣れてきました。

ナデナデしようとすると爪を出してくるけど(怖)

野良生活が長かった(推定5年)ので、まだまだ心理面で距離をつめるには時間がかかりそうです。もうしばらく、3段ケージの中で家猫修行をがんばってもらわねば。

物理的な触れ合いはなかなかできていませんが、猫は猫なりに自分の置かれた状況を把握し、人間をうまく操っているのではないかと感じることはあります。

大好きなおやつは真っ先に完食するのに、お薬入りのごはんにはそっぽを向いてるとか。

基本的にこちらの話には馬耳東風なクールな表情をしているのに、甘えたいときにはとびっきりの高い声で「にゃ~ん」と一発かましてくるとか。(「猫なで声」とはよく言ったものだ)

ケージ前にストーブを置いておけばゴロンと横になってかわいいポーズを披露するのに、暖房がついていない日はベッドから出てこないとか。

何もかも、人間目線で「何がかわいく見えるか」計算しつくされている行動に見えてきます。もしかして、うちの猫もこの本の内容を野良時代に習得していたんだろうか。お母さん猫は優秀な教育者だなぁ・・・と変なところに感心したりするのです。

→この作品について触れていた本:
  ・大島 弓子 『グーグーだって猫である』 (2011/11/18の記事

(古本屋で購入・背表紙幅:1.1cm)

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